10月21日は【早稲田大学創立記念日】です!
歴史ある校舎や校歌など、大学には長い年月で育まれた物語がたくさんありますよね。
なぜ10月21日が【早稲田大学創立記念日】といわれるのかという由来・理由や、「早稲田大学」に関するプチ雑学をまとめました。
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早稲田大学創立記念日の由来・理由
1882年(明治15年)10月21日に前身の東京専門学校が創設されたことから、10月21日が「早稲田大学創立記念日」とされています。
東京専門学校を創設したのは大隈重信です。
1902年(明治35年)の創立20周年を機に「早稲田大学」へ改称されました。
早稲田大学に関するプチ雑学・トリビア
早稲田大学は、東京都新宿区の早稲田キャンパスをはじめ、複数のキャンパスを持つ私立大学です。
創立者・大隈重信の理念や学生文化は、建物、歌、シンボルなどにも受け継がれています。
ここからは、「早稲田大学創立記念日」にぴったりな早稲田大学の雑学をいくつかご紹介します。
早稲田大学は「東京専門学校」から始まった
前身の東京専門学校は、創設当初から「早稲田学校」や「戸塚学校」とも呼ばれていました。
大隈重信の別邸が早稲田村にあり、校舎が戸塚村にあったことから生まれた呼び名です。
やがて「早稲田」という名前が広く親しまれ、1902年に正式な早稲田大学となりました。
通称として定着した地名が、大学の正式名称になったという流れは面白いですよね!
大隈講堂の時計塔は「125歳」にちなむ高さ
早稲田大学のシンボルとして知られる大隈記念講堂は、1927年に完成しました。
時計塔の高さは125尺、約38メートルです。
この「125」は、大隈重信が唱えた「人生125歳説」に由来します。
人は節制し、高い志を持てば125歳まで生きられるという考えでした。
建物の高さにまで創立者の持論が込められているとは、知ると時計塔の見え方も変わりますね!
校歌「都の西北」は創立25周年に誕生
早稲田大学校歌は、1907年(明治40年)の創立25周年に制定されました。
冒頭の歌詞から「都の西北」の名でも親しまれ、大学を代表する歌として受け継がれています。
作詞は相馬御風、作曲は東儀鉄笛。
学生や校友が集まる式典、早慶戦などでも歌われ、早稲田らしさを一つに結ぶ存在です。
100年以上歌い継がれていると思うと、ぐっと歴史を感じますね!
早稲田大学校歌の基本情報
- 制定:1907年(明治40年)、創立25周年
- 作詞:相馬御風
- 作曲:東儀鉄笛
菱形のシンボルは、伝統の「角帽」がモチーフ
早稲田大学のシンボルに使われている菱形は、伝統的な角帽をモチーフにしています。
角帽はかつて学生の制帽で、制服とともに1902年に正式制定されました。
現在は日常的にかぶる学生が少なくなりましたが、応援部などが伝統をつないでいます。
校章、角帽、早稲田レッドをもとに現在のシンボルが作られたため、あの形には大学の歴史がぎゅっと詰まっているんです。
まとめ
10月21日の【早稲田大学創立記念日】。
1882年(明治15年)10月21日に前身の東京専門学校が創設されたことにちなむ記念日でした。
早稲田大学の歴史は、大学名だけでなく、大隈講堂の高さや校歌、角帽をモチーフにしたシンボルにも刻まれています。
キャンパスを訪れる機会があれば、建物やマークに込められた物語にも注目してみてくださいね!
