4月20日は【郵政記念日】です!
なぜ【郵政記念日】となったのか、その由来・理由やプチ雑学をまとめました。
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由来・理由
1871年4月20日(旧暦では3月1日)、飛脚制度に代わって新しく郵便制度を実施しました。
このことを記念して現在の日本郵政グループである逓信省が1934年に、4月20日を「逓信記念日」として制定。のち2001年に「郵政記念日」となりました。
「逓信記念日」は1950年時点で一度「郵政記念日」と改称されましたが1959年に再び「逓信記念日」に戻り、2001年の省庁再編で再度「郵政記念日」と改称しています。
プチ雑学
1871年のこの日まで、実に258年もの間、飛脚制度が実施されていました。
飛脚の語源は「速く走る者」という意味で、信書・文書などを人馬がリレー形式で目的地まで届けていたのです。
今回は江戸時代に大活躍していた飛脚についてをご紹介します。
駅伝のルーツは飛脚!
飛脚は長い区間をひとりで走りきるのではなく、各宿場に置いた数人の飛脚がバトンタッチする、いわゆるリレー方式で情報を届けていました。
この飛脚、実はお正月にテレビで観戦することの多い「駅伝」の原点と言われています。
飛脚が仕事として行っていた長距離リレーをスポーツ化したものが、この駅伝なんですね。
馬を使うより速い人の脚?
飛脚は主に幕府などが使う「公用飛脚」「大名飛脚」と、民間の「町飛脚」がありました。
町飛脚は馬が荷物を運ぶことも多かったのですが、幕府などが使う「公用飛脚」は荷物も人が運び、人が自分の脚で走っていました。
ここで「馬の方が速いのでは?」「なぜ人が走るの?」という疑問、沸きますよね。
実は当時の馬は小さく、大河ドラマなどで見るようなパカパカと走る素早い動きはできず、人の脚で走った方が速かったのです。
そのため大量の荷物を扱う民間の飛脚以外は、基本的に己の脚で走っていたのです。
飛脚走りで江戸〜京都を最短3日!
別名ナンバ走りとも呼ばれる「飛脚走り」という「右手・右脚」「左手・左脚」をそれぞれ同時に出す、特別な走り方をしていたとされる飛脚。
江戸から京都までの東海道五十三次は約492kmという距離で、実際に歩いて移動すると半月近くかかってしまいます。しかし飛脚はこの同じ距離を、なんと最短3日ほどで走ることができました。
今のように車や電車などが無い時代に、3日で江戸〜京都間で情報を送ることができたと考えるとすごいことですよね。
ただしこの3日で届ける最短コースは、当時の料金として高額なもの。
現代に置き換えると数十万円ほどの価値だったと言われています。
秋田の飛脚の伝説「与次郎狐」は実在した?
秋田県に、久保田藩(秋田藩)・初代藩主の佐竹義宣に仕え、飛脚として活躍した白狐の「与次郎狐の伝説」が残っています。
狐の「与次郎」は秋田〜江戸館を往復6日間で行き来するという速足で大いに働いたのですが、その足を妬むものによって山形の宿で殺されてしまいました。
与次郎狐の霊を祀るために、秋田と山形には「与次郎稲荷神社」が建てられています。
この与次郎、実は伝説ではなく実在の隠密だったとも言われています。
佐竹公の寵愛を受けていたものの存在を伏せなければならない隠密だったという説があり、隠密だから速足は本当で暗躍していたのでは、と言われているのです。
いずれもまだ説となり、真実がどうなのかは明らかになっていません。
まとめ
4月20日の【郵政記念日】。
郵便ポストに入れるだけで日本全国のみならず世界中に荷物を送ることができる現代。
しかしかつては、人の脚で届けられていた時代が確かにあったのです。