11月5日は【電報の日】です!
なぜ【電報の日】といわれるのか、その由来・理由やプチ雑学をまとめました。
朝礼のスピーチ、メルマガ配信、話のネタの参考にどうぞ!
由来・理由
電報を申し込むときの電話番号が「115」であることから、11月5日が「電報の日」として制定されました。
電報とは、明治時代初期に誕生した電気通信を用いた文書配達サービスです。
プチ雑学・トリビア
電話やメール、スマホアプリなどの発展によって、現在はかつてほど電報は身近な存在ではないかもしれません。
しかし通信サービスが一般的に普及しているにもかかわらず、特別なメッセージを送ることができる電報は、今でも残り続けています。
今回はそんな電報に関する雑学・豆知識を集めました。
電報は通信・移動手段より古い歴史がある!
電報が生まれた明治初期(1870年頃)は、明治維新の文明開花の時代。
当初は一般的な電話もなく、郵便サービスも始まっておらず、鉄道などの整備もされていない時代です。
そのため、電報は数ある電信サービスや移動手段よりも古い歴史を持っているのです。
電話などが普及する前は、電報は通信インフラとして大きな役割を担っていました。
遠方の家族や友人に素早く連絡する手段は電報の利用が一般的だったそうです。
電報の進化
電報の導入当初は「ブレゲ指字電信機」というものが使われており、日本全国に届けることまではできず、東京・横浜間だけで利用できたサービスでした。
その後「モールス印字電信機」というモールス信号を応用した技術が採用されたことにより、どんどん洗練されていきます。
1875年頃には全国に電信線が整備されて、多くの人が利用する連絡手段として普及しました。
そして関東大震災の際には「無料被災電報」の受付実施も開始。
災害発生時の無事を伝える手段として多くの人が利用されて、その後も幅広く進化を遂げます。
写真・絵画などを送ることができる「国産写真電信機」、漢字・数字・図表・図案などをそのまま送ることができる「模写電報」なども生まれました。
電報の進化
- 1870年〜:ブレゲ指字電信機→モールス印字電信機
- 1875年〜:全国に電信線が整備
- 1923年:関東大震災で「無料被災電報」の受付実施
- 1928年:国産写真電信機の開始
- 1947年:模写電報の開始
今でも電報は現役!
電話やインターネットの普及などで現在、普段使いをすることはなくなってしまった電報。
何か緊急事態が起きてしまったときも、家族に無事を伝えるにはスマホや公衆電話もありますもんね。
しかし現在でも、緊急通信手段以外の利用シーンで電報は残り続けています。
冠婚葬祭などの慶弔電報やお祝いごとのメッセージなど、「特別な気持ちを電報で送る」という日本の文化は今もなお現役のようです。
現在も使われる電報シーン
- 結婚式の祝電
- お葬式の弔電
- お祝いのメッセージ
(誕生日、出産、合格、開業、記念日、成人祝いなど)
まとめ
11月5日の【電報の日】。
電報を申し込むときの電話番号が「115」であることから制定された記念日でした。
災害時に無事を伝えられる安心感から、当時の人にとって心の支えとなったであろう電報。
今は「特別なとき」に送られるサービスとして変化し、メッセージだけでなくギフトをセットにして贈ることもできるようになりました。
特別な気持ちをぜひ電報で送ってみてはいかがでしょうか。