2月26日は【脱出の日】です!
なぜ【脱出の日】となったのか、その由来・理由やプチ雑学をまとめました。
由来・理由
1815年2月26日に、エルバ島に流刑されていたナポレオン・ボナパルトが島を脱出し、パリに向かいました。
このことが由来で、2月26日が「脱出の日」とされました。
ナポレオンがエルバ島へ流刑されたのが1814年4月のこと。一年も経たずにナポレオンは島から脱出を果たしました。
プチ雑学
稀代の英雄ナポレオン・ボナパルトといえば、歴史上でも大変有名な人物です。
「私の辞書に不可能の文字はない」という言葉は、誰しも一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。
ナポレオンがエルバ島に流刑されたキッカケは、1813年のライプツィヒの戦いから始まります。戦いに敗れたナポレオンを追ったロシア軍とプロイセン軍はパリを目指し、1814年3月にパリは陥落してしまいました。
パリ南郊へ逃れたナポレオンはこの時点でもまだ諦めていなかったのですが、パリではすでに変わり身の早い政治家たちが動き、ブルボン家の王位復活に向けて策動が進むことに。
そして1814年4月2日、元老院は皇帝ナポレオンの退位を宣言し、その4日後には王政復古。ナポレオンは事実上の流刑地として、4月20日にエルバ島へと向かいました。
しかし島で監禁されていたわけではなかったため、ナポレオンはエルバ島の所有者として自由な生活を送ることことができたようです。とはいえ、数々の偉業を成し遂げてきたナポレオンは、自由で単調な生活に次第に飽きてきてしまいました。
そんな中、パリではナポレオン復活を待望する世論が強まっていきます。
そしてこの1815年2月26日にナポレオンは兵をつれてエルバ島を脱出し、3月1日にはカンヌ近郊に上陸してそのままパリへ進軍しました。道中では農民や労働者が「皇帝万歳!」と歓呼して迎えられたそうです。
3月20日にはパリへ入城し、再びナポレオンが帝位に就くこととなりました。
ただし、この帝位の座は100日間の一時的支配でした。いわゆる「百日天下」と言われた、短期間の政権で終わってしまうのです。
まとめ
2月26日の【脱出の日】。
フランス革命後の混乱を収拾したかの有名な人物・ナポレオンによる、有名な史実が由来での記念日でした。